スペインのバスク地方に「ゲルニカ」という街があります。
「ゲルニカ」と言えばピカソの代表作を思い出しますが、実は街の名前だったのです!(絵画に詳しい方からしたら当たり前の事実かもしれませんが、知識がなかった私にとっては結構びっくりした事実でした)
ピカソはスペイン出身の画家です。1937年にゲルニカ市がドイツ空軍による無差別爆撃を受けたことのショックから作った作品が「ゲルニカ」なのです。出身国が無差別爆撃を受けるなんて、ショックですよね。
そんなゲルニカの街をピカソの作品とともに散策してきましたので、ご紹介していきたいと思います。
Guernica(ゲルニカ)
①Gernikako Batzarretxea(ゲルニカ議事堂)
まず最初に向かったのは「ゲルニカ議事堂」です。
「ゲルニカ議事堂」は、ビスカヤの最高機関が置かれる重要な場所です。
1826年から1833年にかけて建造され、敷地内にある「樫の木」の下で地域の議会が行われていました。
でも不思議に思いませんか?冒頭でもお話しましたが、1973年にドイツ空軍による無差別爆撃を受けているので、建物が残っているなんて・・・?
そこで調べてみたら、空爆は議事堂の反対方向だったそうです。そのため、ゲルニカの街の殆どは破壊されたのに、あとでご紹介します「サンタマリア教会」や「ゲルニカ議事堂」は奇跡的に破壊されずに残ったそうなのです。
建物が綺麗な状態なのも凄いですし・・・
「樫の木」も残っていました。ちなみに「樫の木」は現在4代目だそうです。かなり神格化されていますね!
石の神殿で囲まれた「樫の木」は一際目立ってオーラを放っていました。だた、これは2代目なんだとか。
じゃぁ3代目と4代目はどこに・・・?
現在の4代目は、議事堂の敷地内にありました!
まだ若々しく葉もふさふさですね。議事堂は無料で見学可能だったはずなのですが、現在では、事前予約かつある程度の人数がいないと開放していないそうです。議事堂内にある天井いっぱいのステンドグラスが圧巻とのことで見たかったのですが残念・・・
なので、この「樫の木」は柵越しに見ることになりました。
もっと近くで見れないかな〜?と思って裏道にわたってみましたが、ますます見えにくくなるだけでした。敷地内のお庭から見るのが一番よさそうです。
ちなみに、3代目は木が病気になってしまったので、ないんですって。それでも2代目が残っているだけでも凄いですよね。
「Gernikako Batzarretxea(バスク議事堂)」の場所
「ゲルニカ議事堂」を出たら街の説明を書いた地図がありました。これを読むと当時の出来事がある程度理解できます。
そうそう!「樫の木」はゲルニカ市にとってのシンボルでバスク自治州の紋章にも使われています。また、町中にはたくさんの「樫の木」が植えられていました。
また、まるでギリシャ劇場のような石造りの広場を目にすることもできました。
さて、「ゲルニカ議事堂」を出て一番見たかったものを見に行きます!
②ゲルニカ(絵画)
歩くこと3分で、ピカソの「ゲルニカ」の壁画に到着しました!とっても大きくて、カメラに収まりきらないほどです。
ただ、実はこの「ゲルニカ」は本物ではありません。本物はマドリードの「ソフィア王妃芸術センター」にあります。
なぜこの地「ゲルニカ」に本物を置かないのか色々考えてみましたが、やっぱり警備の関係でしょうね・・・
本物をこんな風に外にさらしておくこともできませんし、それを所蔵するだけ規模の大きい美術館もありません。保管にはお金もかかりますし。
また、美術館としても「ゲルニカ」があることによって集客できてしまうため、手放したくないですよね。
それでも、せめてバスク地方には戻ってきてくれたらいいな〜なんて思ったりしています。
バルク地方のビルバオには「グッケンハイム」がありますからね・・・
と色々思いましたが、なぜこれを考えたかといいますと・・・
ピカソの「ゲルニカ」はもともとパリ万博のスペイン館用に作られたのです。その後、アメリカに絵画は渡り、「ゲルニカ展」が開かれ、そしてスペインに戻るかと思いきや、MOMAに所蔵。(スペインやスペインが近いフランスに戻したら、爆撃の様子を書いたこの作品は狙われる可能性があったため)。その後、第二次大戦開戦後初めて絵画がヨーロッパに戻されミラノ、ブラジル、パリ、ブリュッセル、ストックホルム、ドイツと渡り、またMOMA・・・となかなかスペインに戻れず・・・
ピカソとしては、絵画の安全が保証されるまではMOMAに、そして、スペイン人民の自由が確立した時点でスペイン政府に返還することを希望したそうです。と言いますのも、この当時(1950〜1960年代)のスペインでは、独裁政権に対する抵抗の印としてこの絵画の複製を飾る家庭が多かったので、まだまだスペインには戻せない状態だったんだとか・・・
そして、ついに1978年、スペイン・アメリカの両国政府は「絵画がスペインに戻されるべきだ!」という判断を発表。
スペインではピカソが名誉館長を務めたマドリードの「国立プラド美術館」、絵画の主題の対象地となった「ゲルニカ」、ピカソの出生地の「マラガ」、ピカソが青年時代を過ごした「バルセロナ」などが絵画の受け入れ先に手を挙げたのですが、マドリードの「国立プラド美術館」にようやく返還されたそうです。
ただ、1992年に「ソフィア王妃芸術センター」が開館した際の目玉として「ゲルニカ」は「ソフィア王妃芸術センター」へ移動し、現在もそのまま「ソフィア王妃芸術センター」にあります。
う〜ん・・・・じゃないですか?
だから、私はこの絵画のあるべき場所について色々と考えてみたわけですが、みなさんはどう思いますか?
「Picassoren “Guernica” horma-irudia」の場所
③サンタマリア教会
さて、素晴らしい「ゲルニカ」を見たあとは、「サンタマリア教会」を見に行きました。
こちらも、空爆の被害を受けなかった奇跡的に残った建物です。その外観は美しいままですね。
「St. Mary Church(サンタマリア協会)」
④バルで休憩
喉も乾いてきたので、近くのバルで休憩することにしました。
さすがバスク地方!ということで、ショーケースにはピンチョスが並んでいます。
カニがたっぷり乗ったピンチョスとフレッシュオレンジジュースで休憩しました。とても美味しかったです。
バルの壁には「ゲルニカ」のレプリカ?(笑)が飾ってありました。
「Cafetería Faisán」の場所
まとめ
滞在時間は1時間ほどでしたが、「ゲルニカ」の街の歴史とピカソの作品について知れるいい散策となりました。
街はとても美しいので、もっとゆっくり時間をかけて散策するのも楽しそうだなと思いました。
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